『ヴァタ~箱あるいは体~』より、予告編と追加場面写真、映画監督の山下敦弘、ゴンチチのチチ松村、歌手の友川カズキ、写真家の西野壮平、在日ファンクの村上啓太、トロンボーン奏者・作編曲家の湯浅佳代子による推薦コメントが届いた。
高校時代からマダガスカルの音楽に魅せられてきた亀井岳。旅と音楽をテーマに、ドキュメンタリーとドラマを融合させるスタイルで映画を監督してきた亀井は、2014年、2作目の『ギターマダガスカル』を完成させるも、撮影時にマダガスカルの南部で偶然出会った、遺骨を入れた箱を長距離に渡り徒歩で運ぶ人々のことが忘れられず、初の全編劇映画となる監督3作目もマダガスカルで製作することを決意。音楽によって祖先と交わってきたマダガスカルの死生観を元に、家族を失った人々がその悲しみをどう乗り越えていくかという普遍的なテーマの映画を全編マダガスカルロケで、マダガスカル人のキャストのみで製作した。
■『ヴァタ~箱あるいは体~』予告編
村の長老に遺骨を運ぶよう命じられるタンテリとザカとスルの三人組は、『ギターマダガスカル』の出演者・トミノの一族の3人が演じた他、3人と旅をする離れ小屋の親父役は、監督が20歳位の時にすごく好きで聞いていたバンド「タリカ・サミー」のサミー、途中から合流するレマニンジ役は、マダガスカルの各地方を代表するミュージシャンを集めて結成されたNy Maragasy ORKESTRAのメンバーに選出され、一躍その存在を知らしめたアンタンルイ族のレマニンジが演じた。
<山下敦弘(映画監督)>
カラフルな素材と様々な調味料で味付けした商業映画とは違い、この作品には素材を塩のみで調理したかのような潔さがある。なのに不思議と豊かに感じるのは何故なんだろう?“旅”と“風景”と“音楽”がゆっくりと混ざりあって、普遍的なのに今まで見たこともない映画を作り続ける亀井岳監督は本当に凄いと思います。またいつか唯一無二の映画を観せてください。
<チチ松村(ゴンチチ)>
『ギターマダガスカル』で気になっていた、ヴァイオリンを弾きながら鳥や動物のような声で歌うおじさんにまた会えた。でも一番感動したのは骨になった少女の言葉「楽器は箱 その中には記憶があります」だからギターを弾く度、過去の音楽家たちの魂が震えるのか!と腑に落ちた。
<友川カズキ(歌手)>
目は、まだ見ぬものを見るためにあるのではないだろうかと、 この映画を見終わって思ってしまった。 姉の骨を運ぶ少年の目には、鈍色の小さな光が宿っていた。まるで命のつぶてでもあるかのように。
<西野壮平(写真家)>
歩くことそのものは祈りのようでもあり、そしてその行為は亡くなった魂と繋がったり呼び起こしたりする力がある。マダガスカルの儀礼に基づく、村から村へ向かうこの小さな村の小さな物語の中には、遠くの目的地を想像するよりも掌に表示される幻想を先んじてしまいがちな現代人にとっての、本当の豊さとはなんであるかといった壮大なメッセージが多く詰まっている。亀井監督の前作『ギターマダガスカル』で手掛けたキャストを再び起用するところや、彼らの劇中での些細な会話に焦点をあてる表現などは、亀井監督のマダガスカル音楽や文化、歴史への深い愛情を感じさせる。
<村上啓太(在日ファンク)>
どこかで知っているような普遍的な筋立てながら、箱に入れた遺骨を3日間歩いて運ぶ道程は不思議で、そこに帯同しているのは箱でできた楽器であるギターだ。音楽と亡骸が同じような容れ物に入っている、というイマジネーションに驚いた。遠いマダガスカルの大地に想いを馳せる。
<湯浅 佳代子(トロンボーン奏者/作編曲家)>
タンテリの澄んだ目と、マダガスカルの自然が奏でる環境音、生をそのまま表現した音楽に引き込まれる。人が生まれて、その命が尽きるまで過ごす時間を『美しく、純粋』に生ききる人達の映画です。
8月3日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開